[くまをとる]

雑感

遅ればせながらいろいろ考えた。

コメント(0)| Track back(0) | 2004-11-06 07:21:34

「地域情報化」と「楽しみ」

昨日の日記の続き。

★地域情報化事例の共通点、「楽しみ」
昨日の日記では、社会の多くの部分は「道具」からなっていて、そこに着目するといろいろなことが分かるのではないかという話を書いた。さて、最近盛り上がった議論は、「道具は自前のものがよい」のではないかということだ。これは、少し説明がいるだろう。

地域情報化の事例を追っていくと、驚くようなモデルがたくさんある。都会人が経済合理性に従って活動したら、こんなことは起こらないんじゃないかと思うようなことが起こる。その源泉は人と人との繋がりだったり、地域愛だったりするのだが、その話はまた別の機会にすることにしよう。ただ一つ、「楽しみ」についてだけはここで言及しておきたい。

(ところで、人と人との繋がりだとか地域愛とか連帯感とかいう話になると、大変胡散臭いと感じる人も多いようだ。これは人の感性や育ち方によっても感じ方が違うようだし、年齢・性別・出身によっても感じ方に偏りがあったりするようだ。そもそも、そういう人の内側にある感じ方というのは、当事者以外にはうかがい知れないところがあり、他人には客観的に評価しがたいものだというのも、厄介だ。しかし、こういう要素は実際に存在していて、物事を大きく左右していることは事実だ。と、僕は思う。)

実は、地域情報化の先進事例の共通点は、中心人物に「あなた(たち)はどうしてこんな活動をしているのですか」と聞くと、「楽しいからだ」と答えるということなのだ。もちろん、それ以外にも合理的な説明はある。地域の経済循環を活性化させるために活動している人もいるだろう。情報環境の不足に危機感を感じているという人もいるだろう。高齢化社会の進展に問題意識を持って活動しているという人もいるだろう。しかし、彼らがその活動を続けている本当の(と、あえて言おう)理由は、「楽しいから」なのだ。

例えば高齢者社会の進展を憂えて活動を始めるとしよう。しかし、その活動はなんらかの推進剤がなければ続かない。人は問題意識だけではそう簡単に動かない。あるいは一人や数人であれば動くかもしれないが、地域を巻き込んで広がっていくような活動をするのであれば、参加した人が何かを得られなければ、ものごとは動かない。

その「何か」が楽しみなのだ。多くの地域情報化の活動を進めている中心人物たちは、「楽しいからやる、楽しくならないことはやらない」と堂々と言って全く憚らない。「やるべきだからやる」のではないのだ。

何故そういう事例ばかりなのかと言えば、僕は個人的には、そういう方針を持っている活動以外はそもそも生き残れないからではないかと思っている。義務感でやっている活動と、「楽しいから」やっている活動では、どちらが活気のある活動になるだろう、どちらが生き残りやすいだろうと考えると、圧倒的に後者だと思わざるを得ない。

★「楽しみ」と「自前の道具」
もう一つの先進地域情報化事例の共通点は「自前の道具」を持っていることだ。非常に多くの事例で、自分で作った道具を使っている。昨日の日記でも説明しておいたが、ここで言う道具とは地域づくりの道具のことで、「地域問題を解決したり、地域づくりを進めるために開発された社会装置」(丸田一氏定義)を指す。

昨日の日記でも挙げた、「ユビキタス村TV&地域づくりの道具展」のウェブページに、代表的な地域づくりの道具を7つ挙げてあるので、具体例が知りたい人はそちらを参照して欲しい。

我々は、この「楽しみ」と「自前の道具」には関係があると思っている。「自前の道具」には楽しみを呼び起こす何かがあるのではないだろうか。

★つづく
えー、ここから先の話もあるんですが、話を進めるとまた長い話になってしまうので本日はこの辺で切り上げます。近いうちに必ず続きを書きます。

コメント(0)| Track back(0) | 2004-11-04 23:44:14

「道具」という考えかた

★「地域作りの道具」という言葉
最近、情報化について考えるときに「道具」という考え方・言葉を使い始めている。この言葉を意識して始めたのは、CANフォーラムの立場でCEATECというイベントに「ユビキタス村TV&地域づくりの道具展」というブースを出したときだ。これは研究をしていく上で同じグループの丸田さんという人がこのイベントのために選んだ言葉で、ここで言う「地域作りの道具」とは「地域問題を解決したり、地域づくりを進めるために開発された社会装置」のことを指す。

僕にとってはこの言葉はとても自然で、なんの違和感もなく受け入れていたのだが、どうやら多くの人には少し心のどこかにひっかかる言葉らしい。「道具」という言葉にはどうやら手にして使う「物体」のイメージが強いらしい。試しに道具をgooの大辞林第二版で引いてみると、その意味は次のようになる。


どうぐ だう― 3 【道具】
(1)物を作り出すため、あるいは仕事をはかどらせるため、また生活の便のために用いる器具の総称。
「大工―」「家財―」
(2)他の目的のための手段・方法として利用される物や人。
「他人を―に使う」
(3)仏道修行に用いる用具。僧の必需品や修法に用いる器具など。
(4)刀剣・弓矢・槍などの武具。
(5)芝居の大道具、小道具。
(6)顔や身体の種々のつくり。また、その部分をいう称。
「顔の―、手足まで、母(かか)は斯うは産み付ぬ/浄瑠璃・丹波与作(上)」


うーん、まあ確かに、日本語では「道具」という言葉は大抵なんらかの「物体」を指すらしい。実はこの「地域づくりの道具」という言葉はこの企画の多くの関係者に褒められた言葉だ。どうもこの違和感が、この言葉の意味について考えさせる効果を持っているらしい。

「道具」という言葉には「目的のために役立つもの、人間が使うもの」というイメージが強い。この言葉を聞いた人がそのことに気づいたとき、地域づくりのために作った社会装置や活動モデルがそれに完全に当てはまることに気が付き、それは「人間が目的を達成するために使っているもの」だということを強く意識するようだ。

ところでもうすぐ正式発表されると思いますが、岸本さんという方が中心になって動かしている「ユビキタス村」は、近々また別の活動をやります。乞うご期待。「ユビキタス村」や「住民ディレクター」についてもちょっと説明しないといけないですね。近々書きましょう。

★情報社会をつくる道具
職業柄「情報社会って何だろう」と思いを致さない日は滅多にないのだが、この「情報社会」を考えて行く上で、「道具」という言葉・考え方が重要な役割を持ってくることに気づき始めた。社会の中には様々な仕組みがある。その社会的仕組みの中には、人間が作ったものもあれば、自然に出来たものもあり、そのあいの子もある。例えば、教育制度などというものは人間が作った仕組みだ。一方、「市場」や「市場価格」は最も原始的な形では自然に出来たものと言えるのではないか。人間が自然に振る舞っていると、いつの間にかそういう仕組みが出来上がる、というのが経済学の考え方だ。法律などは、「自然法」という考え方があるくらいだから、全体としてはあいの子だと言えるかも知れない。

そして、その仕組みの多くは実は「道具」と言えるものではないだろうか。社会的仕組みの中には人間が設計したものもあれば、創発的に生まれてきたものもある。しかしそのでき方はどうあれ、一度その仕組みを人間が理解し、積極的に目的達成のために利用していれば、それは道具と言えそうだ。

そう考えると、人間は非常に多くの社会的道具を持ち、使いこなしているのだと思える。多分、来るべき情報社会(今もおそらく情報社会の初期段階だとは言えるが)と、それ以前の産業社会では、利用する社会的道具が全く異なるのではないか。

などということを考え始めている。道具のリストを作ることで、社会の性質を記述することが出来るかも知れない。

コメント(0)| Track back(0) | 2004-11-03 23:03:20

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