[くまをとる]

情報氾濫

今日のはちょっとまとまってないですが、アイデアメモということで。

★受け取る側のことも考えよう。
以前のウェブログで書いた話の続き。インターネットでは既存の発信メディアに比べて発信コストが低いので、市場価値の低い情報や質の低い情報などであっても発信されるという議論をした。これは発信する側の論理だ。

もちろん、誰に向けるでもない独り言ウェブ日記なんていうのもそういう情報の例だが、なんと言っても代表例はSPAMメールだろう。インターネット以前だってダイレクトメールがあったし、変な営業電話だってたくさんあったわけだが、このSPAMメールの多さはどうだ(ぼくの使っているSPAMフィルターの情報によれば、僕に届くメールの約半分がSPAMです)。ダイレクトメールを出すには切手代がいるし、営業電話をかけるには電話代や人件費が必要だ。SPAMメールはそれに比べれば大変コストが低くいので、出したもん勝ちになるわけだ。

さて、前回の記事では発信側の議論だけをしたのだが、当然受け取る側の論理もある。受け取る側は、情報の価値に応じてコストを払ってもよいと考える。もちろんこれは、お金を払って見る映画やアニメのような有料コンテンツにも当てはまるが、無料で見られるウェブページやSPAMなんかにも当てはまる。無料の情報と言えども、受信者が見て読むだけで時間も消費するし、気力も消費するだろう。価値のない情報を見てしまったら、その間に見ることが出来たはずのもっと価値の高い情報を見る機会を失うことになる(経済学でいうところの機会費用がかかっているわけだ)。見ても意味のない情報を見るくらいなら、その間寝た方がマシだという人もいるだろう。

★しかし、情報の価値をどうやって判断するのか。
かくして、受け取る側は(自分にとって)価値の高い情報だけを受け取りたいと思うようになる。しかし、インターネットの場合、他のメディアではあまり目立たない問題が出てくる。価値の高い情報と低い情報が同じ空間に存在しているため、それぞれの価値が高いか低いかを見分ける必要が生じることだ。見分ける方法はいくつかあるだろう。

方法1) 自分の目で見分ける
方法2) 機械の力を使って選別する
方法3) 他の人に聞く
方法4) 権威に頼る

方法1)はコストがかかりすぎる。インターネット上に氾濫している情報の量を考えると非現実的だと言えるだろう。もちろん、役に立つ情報は「集まる」傾向にあるので(例えばHTMLのリンクなんかを通じて)、人間の英知やカンを使えば、思ったほど非効率にはならないかも知れないのだが。現実逃避にはいいかもしれないが、あまり自分で実験してみたいとは思えない。

方法2)の代表例は検索エンジンだろう。しかし、メーラーのフォルダ振り分けや、最近使われるようになってきたSPAMフィルターなどもこの例だと言える。機械が我々のために情報を選別する技術は今後ますます発展するだろう。

ところが、この方法には大きな欠陥がある。人間は、自分の欲しい情報がわかっている場合は、それを機械に探させたり、より分けさせたりすることは簡単に出来るのだが、自分が欲しい情報をわかっているとは限らないのだ。人間は、情報に接して始めて「自分はこの情報を高く評価する」ということを知る場合も多い。例えば、まだ読んだことのないジャンル小説を、面白いかどうかどうやって知るというのか。

これは、人間は新たな情報との出会いを高く評価する場合があるということだ。こういう出会いには、単純な検索エンジンやフィルタは対応できない。

方法3)これは場合によってはとても有効だ。既に人間の価値判断を経ているため、かなりの精度でいい情報を得られる場合がある。相手から教えてくれることもある。僕が猫好きだということを知っている知り合いは、猫についての情報があると、向こうから積極的に情報を教えてくれることもある。ただ、相手の人間が適切な判断基準を持っているかという問題があるし、新たに大量の情報を処理するのも難しい。たとえばメールのより分けなど、プライベートな情報の処理も頼めない。いろんな問題がある。

実は、方法2と3の組み合わせという方法がある。他の人間の好み情報を機械に入力して、それで自分が好みそうな情報を探し当てるのだ。似た好みを持つ人は、同じような情報を求める場合が多い。amazonのリコメンデーションシステムがその例だ。ある本を選ぶと、その本を買った人は他にはどんな本を買っているかを示してくれる。他の人の知恵を機械を仲介者にして借りているわけだ。

方法4)は伝統的な方法だ。例えば新聞やテレビは歴史が古く、ある程度の公共性を備えている。社会的な責任を負っており、情報の取り扱いにもコストをかけている。そのような「権威」を認めて信頼し、その権威が選ぶ情報は価値が高いものだと見なすのである。その権威はメディアでなくともいい。例えば「学識経験者」なんていうのは権威の例の一つだろう。

権威は一般に情報の扱いに高いコストを払っているし、社会的にもその権威がある程度正しいことが認められているので、この方法には失敗が少ない。この方法は、多くの人が選択基準を共有できるという点でも優れている。ただ、権威は必ず正しいわけではないので、油断ができない。権威が古い価値観を代表しているというのもありがちな話で、そういう場合は新しい価値観に基づく情報が不当に低く評価されてしまうかも知れない。

★それでは、情報の氾濫は受け手にとってはマイナスばかりなのか。
これまでの話だと、インターネットのような玉石混淆の場では、受け手のコストは増えるばかりでメリットがないように思える。

さて、「必ずしもそんなことはない」と言いたいんですが、なんだか長くなりすぎてしまったので、一度ここでやめます。続きは明日。

コメント(0)| Track back(0) | 2004-04-23 23:36:56

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