[くまをとる]

「地域情報化」と「楽しみ」

昨日の日記の続き。

★地域情報化事例の共通点、「楽しみ」
昨日の日記では、社会の多くの部分は「道具」からなっていて、そこに着目するといろいろなことが分かるのではないかという話を書いた。さて、最近盛り上がった議論は、「道具は自前のものがよい」のではないかということだ。これは、少し説明がいるだろう。

地域情報化の事例を追っていくと、驚くようなモデルがたくさんある。都会人が経済合理性に従って活動したら、こんなことは起こらないんじゃないかと思うようなことが起こる。その源泉は人と人との繋がりだったり、地域愛だったりするのだが、その話はまた別の機会にすることにしよう。ただ一つ、「楽しみ」についてだけはここで言及しておきたい。

(ところで、人と人との繋がりだとか地域愛とか連帯感とかいう話になると、大変胡散臭いと感じる人も多いようだ。これは人の感性や育ち方によっても感じ方が違うようだし、年齢・性別・出身によっても感じ方に偏りがあったりするようだ。そもそも、そういう人の内側にある感じ方というのは、当事者以外にはうかがい知れないところがあり、他人には客観的に評価しがたいものだというのも、厄介だ。しかし、こういう要素は実際に存在していて、物事を大きく左右していることは事実だ。と、僕は思う。)

実は、地域情報化の先進事例の共通点は、中心人物に「あなた(たち)はどうしてこんな活動をしているのですか」と聞くと、「楽しいからだ」と答えるということなのだ。もちろん、それ以外にも合理的な説明はある。地域の経済循環を活性化させるために活動している人もいるだろう。情報環境の不足に危機感を感じているという人もいるだろう。高齢化社会の進展に問題意識を持って活動しているという人もいるだろう。しかし、彼らがその活動を続けている本当の(と、あえて言おう)理由は、「楽しいから」なのだ。

例えば高齢者社会の進展を憂えて活動を始めるとしよう。しかし、その活動はなんらかの推進剤がなければ続かない。人は問題意識だけではそう簡単に動かない。あるいは一人や数人であれば動くかもしれないが、地域を巻き込んで広がっていくような活動をするのであれば、参加した人が何かを得られなければ、ものごとは動かない。

その「何か」が楽しみなのだ。多くの地域情報化の活動を進めている中心人物たちは、「楽しいからやる、楽しくならないことはやらない」と堂々と言って全く憚らない。「やるべきだからやる」のではないのだ。

何故そういう事例ばかりなのかと言えば、僕は個人的には、そういう方針を持っている活動以外はそもそも生き残れないからではないかと思っている。義務感でやっている活動と、「楽しいから」やっている活動では、どちらが活気のある活動になるだろう、どちらが生き残りやすいだろうと考えると、圧倒的に後者だと思わざるを得ない。

★「楽しみ」と「自前の道具」
もう一つの先進地域情報化事例の共通点は「自前の道具」を持っていることだ。非常に多くの事例で、自分で作った道具を使っている。昨日の日記でも説明しておいたが、ここで言う道具とは地域づくりの道具のことで、「地域問題を解決したり、地域づくりを進めるために開発された社会装置」(丸田一氏定義)を指す。

昨日の日記でも挙げた、「ユビキタス村TV&地域づくりの道具展」のウェブページに、代表的な地域づくりの道具を7つ挙げてあるので、具体例が知りたい人はそちらを参照して欲しい。

我々は、この「楽しみ」と「自前の道具」には関係があると思っている。「自前の道具」には楽しみを呼び起こす何かがあるのではないだろうか。

★つづく
えー、ここから先の話もあるんですが、話を進めるとまた長い話になってしまうので本日はこの辺で切り上げます。近いうちに必ず続きを書きます。

コメント(0)| Track back(0) | 2004-11-04 23:44:14

最近の記事

Powerd by News Handler

本サイトは、いしばし(国際大学GLOCOM)がやってます。