「脱社会的」という考え方がある。らしい。
「社会的」という言葉に対応して「反社会的」という言葉がある。「脱社会的」というのは「反社会的」とは違う。そもそも社会とのつながりを持とうという意思を持たない。刹那的な快楽を求め、社会と積極的に交わろうともせず、社会に貢献したいという考えも持たない。例えば「働いたら負けかな、と思ってる」人なんかは、脱社会的といえるかもしれない。(でも「勝ち」「負け」という言葉を口にしてるってことは、実は「反社会的」なのかもしれないが。) VIPPERやwinnyユーザーや引きこもりやNEETなんかにも脱社会的な人が多いのかも。
しかも、その中の人の多くは、脱社会的であることを特に恥とは思っていない、気がする。社会的であることに価値を見出せない。あるいはそもそも、そういう価値観を持たせるような教育環境が整っていないのかもしれない。
さて。
まあ言うまでもないことですが、自分の認識では、僕は脱社会的人間です。
34歳で、世代的にはシラケ世代。「斜に構える」ことがかっこいいと思ってる世代。バブル後に就職して、子供のころには「社会は良くなっていくんだ」とか「Japan As No.1」とかいう環境に育ったのに、いざ社会に出るとバブル崩壊、経済成長率は最悪。就職した友達たちだって、未来に夢なんか抱けない状況にある。
でも、だから無理もない、こういう背景だから僕は脱社会的になったんだ、ってわけでもない。もっと根本的な部分で、僕は脱社会的なところを持っている。生来のものかもしれない。
現在にしか興味が持てない。過去に積み上げてきたことは、ある日どうでもよくなる。未来のことを考えるのは楽しいけれど、じゃあ実現したい大きな理想があるかというと、ない。目の前にいて、今あっている人のことは、すごく気にかけるけれど、会わなくなった人のことは気にならない。積極的に新しいネットワークを気づいていきたいという欲望もない。
この、過去や社会に対する無関心さがどこから生まれてくるのか、わからない。不思議だなあ。
コメント(0)| Track back(0) | 2006-02-20 03:34:39
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