死んだり去ったりして人間は必ずいつかいなくなるか、そのとき残されたものはどうなるのか。ここでは「もの」と言ってもデータのことを考えてみる。ええと、まだ結論は出ていないので、論点だけ挙げてみることにしよう。
★相続か。消去か。
人間は日々活動するにつれ、いろいろな記録を残す。これだけ情報化社会になると、その記録は電子的な記録となっていろんなところに残ることになる。例えば、会社から支給されたPCには、業務上作成した資料も残るだろうし、個人宛のメールも残るかも知れない。個人的なメモも残るかも知れない。大学の公共端末には、レポートのために作成されたファイルも残るだろうし、昔の恋人とのチャットのログも残っているかも知れない。
ある大学生が、普段大学の端末を使って活動をしていたとことを想像してみる。そのメールで自分の研究室やゼミのメールも受け取ったろうし、サークルの連絡もしていたろう。友達や恋人との連絡にも使っていただろう。それらの記録の多くは、デジタルデータで蓄積されている。データを蓄積する理由は様々だろうが、後に本人が参照するためのものであり、公開することや人に渡すことは前提としていないものがたくさんあるに違いない。
さて、その大学生がある日突然事故かなにかで死んでしまったとする。残ったデータはどうなるか。いくつか考えられるパターンがあるだろう。
1) 大学が引き継ぐ
2) 遺族が相続する
3) 大学が引き継ぐが遺族にコピーを渡す
4) 消去する
そのPCは大学のものだから、そのもの自体は遺族に渡されたりしないだろう。しかし、その人が持っていて蓄積したデータはその人の所有のものだという考え方をすれば、データについては遺族が相続するという考え方もそんなにおかしいものではないだろう。
★情報の所有権
そもそも、情報については所有権の定義が非常に難しい。もちろん著作物については著作権があり、この権利は相続できるから、その大学生の著作物の権利を引き継ぐ意味で遺族がそれを受け取るということは十分考えられることだ。
一方で、そのデータの中には本人の著作物以外のデータも多く含まれていることだろう。ソフトウェアなんかも含まれるかも知れないが、ソフトウェアの使用権は相続を前提としているだろうか。その学生が有料データベースから引き出したデータについてはどうか。これらの情報は利用するときに使用許諾に同意するという形で権利関係が生じている場合が多いだろう。そういうデータを相続するためには、それらの権利を確認することが必要になってくる。しかし、残されたデータにそんなものは付随していないケースが多いのではないか。
これが学生でなくて社会人だと、もっと難しい問題が生じてくる。業務上作成した情報や業務上取得した情報などは、会社のものだという考え方が出てくる。しかし、会社のPCに残ったデータはすべて会社の物だと言い切ることができるか。例えば、死んだ人が発明者になっている出願直前の特許に関する情報がそのPCに残っていたとしよう。これは誰のものか。
★プライバシー問題
そしてもちろんプライバシーの問題が生じてくる。おそらく、残されたデータには本人は残すことを意図していなかった情報がたくさん含まれているに違いない。他人のプライバシーに関する情報も含まれているかも知れない。このような情報を、果たして後に残していいのか。
非常に大きな問題は、油断していると今までは残らなかったような詳細な情報が後に残されてしまう可能性があることである。例えば、すべてのチャットのログが詳細に残っていたとする。チャットなんてものは日常生活の中では会話に相当する物で、今までであれば残ることなど考えないでよかった。しかし、こういうものまで後に残ってしまう可能性がある。それは正しいか。
この問題は、非常に深い問題を含んでいるにもかかわらず、社会であまり問題にされていない。しかし、情報化社会でも人は必ず死ぬわけで、人間の営みを考えていく上で、考えないわけにはいかない問題だろう。このことについては、社会として一度深く議論をしてみるべきではなかろうか。
コメント(0)| Track back(0) | 2004-05-04 23:33:35
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