佐世保の小学校6年生の女の子が同級生を殺すという事件が起こったが、職場でこのことについて時間を取って議論をした。このことを通じて僕が個人的に考えたことを忘れないうちにまとめておく。
本当は今日は昨日の続きを書こうと思ったのだが、明日に回します。
★この事件はどのくらい重要か
この事件は「例外」だということは誰もが認めるだろう。こんなことが起こるとは誰も予想していなかった。
一つの危惧は、「例外」に過剰反応をしてしまうことだ。今回の事件のきっかけは、ウェブページ上で面白くないことを書き込まれたことだったとされている。これが本当だったのか、どのくらい主要な原因だったのか、僕にはわからない。普段からいろいろと面白くないことがあって、些細なことがきっかけで爆発したのであり、ウェブ上の書き込みは最後の小さな後押しだったのかも知れない。文字によるコミュニケーションには本質的に人の感情をかき立てる性質があって、それが事件を引き起こしたのかも知れない。しかし、安易に「インターネットを禁止しろ」などという意見が出るのではないかと、余計な心配をする。
例外は必ずしも大勢を表していない。圧倒的に大多数の人は、こんな事件を起こしたりしないのだ。もしたった一つの例外のために変なルールを作ってしまったりしたら、かえって風通しを悪くして、逆に多くの問題を引き起こす可能性がある。問題を隠蔽するために安易に禁止するのではなく、もっと生産的な方法を考えるべきだ。
一方、今回の事件は予想を超えていたということも重要なことだ。地震でも洪水でも、起こりうる問題への対処を考えるには「最悪の場合」を想定する必要がある。河川の最高水位を測るようなものだ。今回の事件は「最高水位」を更新したわけだから、新たな対処が必要になることも事実だ。「今回は例外だ」と言って切り捨ててしまうことも、もちろんよくないのだ。今はまだ情報が少なくて詳細な議論は誰にもできないだろうが、安易な結論を出さずに正面からまじめに議論することが大切なんだろう。
さて、ここから先は今回の事件をきっかけに勝手に考えたことだ。もちろんこれが今回の原因だと断言しているわけではない。先にお断りしておきます。
★フレーミングということ
今回の事件では、いわゆる「フレーミング」という現象が起こったんだろうと想像できる。フレーミングはメーリングリストや掲示板で議論を続けていくうちに、意見が対立して、ヒートアップしてお互いに罵り合う現象だ。これはよく起こることだし、僕自身も何度も経験したことがある。あまり一般的ではない言い方だが、このときの気分の高まりを「ネットワークハイ」などと呼ぶこともある。(僕はこの表現をとても適切だと思う)
フレーミングが何故起こるかという説明はたくさんある。メッセージ交換のタイムラグが影響しているなんて分析もある。(ちょっと古い本だが、「インターネットの心理学」(パトリシア・ウォレス著)という本でもフレーミングについて分析した章がある。ここでもさまざまな要因が指摘されている。ただし、以下に書くような指摘はなかった。)
★「文章を書くこと」と感情の純化について
僕自身の経験を振り返って、フレーミングが起きる一番大きな原因がどこにあるかを考えてみると、「文章を書くこと」を通じた感情の純化なのではないかと思えてきた。誰かに攻撃されたと感じると、多くの場合人はカッとなる。「殺してやりたい」なんて感じることだって、あるだろう。僕はある。しかし、ほとんどの場合は実際には殺したりしない。ぐっと我慢して、我慢しているうちに相手がいなくなったり、他の出来事が起こったりして、怒りは収まっていく。
しかし、今回の事件では、相手を呼び出して、用意したカッターナイフで切りつけて殺している。明らかに計画的で、準備して時がくるのを待ち、殺そうと思って殺したのだ。足を踏まれてカッとして、思わずその場で相手を殴りつけてしまうというような、衝動的なものとは違う。怒りが始まってから殺すまでの間には時間がある。その間に、怒りは収まるのではなくて、高まっていったんだろう。
フレーミングの場合は衝動的な怒りとは逆に、時間が経つにつれて怒りは高まっていく。これは「文章を書く」という行動と関係していると思う。相手に攻撃されたと感じていて(多くの場合は些細なすれ違いが原因だったりするが)、それに反撃しようと文章を考えるとき、いろんなことを考える。
文章を書くということは、自分を振り返るということだ。自分は何故怒っているのかを考え、相手がどう悪いかを考える。場合によっては、相手の言葉にどんな意味が込められているか、相手は本当は自分のことをどんなに蔑んでいるか、あらぬことを想像したりする。そして、どんな表現をすれば一番相手を傷つけられるのか、最高の効果を上げようと計算する。
悪いことに、文章を書くには時間がかかる。文章を書くために自分の怒りを振り返っているうちに、だんだんその「怒り」から雑音が消えて、純粋な怒りに変わっていく。最初は自制が効いたり、相手とやりあうことによる不利益を考えたりして、怒りにも雑音が入っている。でも、自分の怒りを何度も再確認して、文章に表現していく過程でそれが取り除かれて、だんだん純粋になり、圧力が高まる。
これと似たものを一つ知っている。夜中に書くラブレターだ。どのくらいの人が経験があるのかは知らないが。
★初めて、普通の人が真剣に文章を書く時代になる
文章を書くということは内省するということでもあり、普通はよいこととされている。自分の感情を確かめたり、考えを整理したりするのにとても有効だ。それは自分の中にあるものを純化させる行為だ。
さて、今振り返ってみると、僕が小学校から高校までの間で、自分の考えを文章できちんとまとめた経験などほとんどなかった。今の国語教育では、長い文章を書かせたりしないし、自分の考えをまとめさせるという経験もほとんどない。読書感想文なんてものは、マス目を埋めることでしかなかった。興味のないことを無理矢理書かせても、意味はないのだ。
ところが、今の小学生・中学生はインターネットや携帯メールを使って、文章で自分の考えをまとめることを始めている。これはひょっとして、日本の教育史上で初めて、子供たちが真剣に文章を書く機会を得ているということではないだろうか。携帯メールは小説や論文とは違うが、友達に出来事や自分の気持ちを文章で伝えるための工夫は必要になる。その分言葉に対するセンスは養われる。フレーミングでさえ、相手を効果的に傷つけるために言葉を選ぶ。
今回の事件が例外だったのは、初めて子供たちが真剣に文章を書くことを経験していることと無縁ではないのではないか。文章を書くことによって、感情が純化された結果なのではないか。
こんな想像をしてみた。本当なのかどうかは、よくわからない。
コメント(4)| Track back(0) | 2004-06-02 23:34:10
| ■ これは私の想像ですが……。 | |
| 犯人(こう表現せざるを得ません)の少女は、イラクでのアメリカ人斬首事件をnetで見ていたと思います。 つまり、イラク人たちが「報復」として行った行為を、自分も「仕返し」しただけだと……。 だちすると、一番イケナイのはブッシュ大統領であるという(M・ムーアや某大新聞みたいな)オチは別にしても。。 子どもは社会の鏡ですから。もちろん、個別の責任論と世相の話をごっちゃにしてはいけませんが、確実にnetのインパクトがあったことは事実だと思います。 | |
| LISApapa (2004-06-03 10:43:41) |
| ■ netのインパクトだけではないと思うが.. | |
| 初めまして。 私は、今回のこの事件は、単純にネットの影響だけではないと考えています。 テレビのニュースを思いおこしてください。 殺人事件を報道しなかった、しなくてもよかった(それだけ平和だという意味で)ニュース番組はありますか? テレビのドラマで、人を殺さないドラマってどれだけありますか? また、映画館に出かけてみてください。 人気の高い洋画で、人を殺さない映画はありますか? 言ってみれば、私達の身の回りには殺人だらけで、テレビを見ても映画を見ても、殺人を奨励するように唆されているような気がしますが。 | |
| へのへの419 (2004-06-03 13:05:27) |
| ■ 少女はドラマをみて影響されたらしいですね・・・ | |
| ドラマでの殺人シーンを見ての犯行らしいですね。 上の私のコメントは外しちゃってますね・・・ | |
| Lightning (2004-06-04 08:30:09) |
<< 「共有されているもの」について(1) 「共有されているもの」について(2) >>
Powerd by News Handler
本サイトは、いしばし(国際大学GLOCOM)がやってます。