[くまをとる]

たで食う虫も好き好きなインターネット

今日のは4/14分のやつ4/23分のやつの続きです。なんか流れがずれて来ちゃっているのは内緒です。

インターネットでは既存の発信メディアに比べて発信コストが低いので、市場価値の低い情報や質の低い情報などであっても発信され、情報が氾濫する。これは発信する側の論理だ。しかし、受け取る側にもコストの議論はできる。受け取る側は無料のコンテンツだっていろんなコストを払っていて、工夫しながら受け取っている、という話をした。

★それでは、情報の氾濫は受け手にとってはマイナスばかりなのか。
これまでの話だと、インターネットのような玉石混淆の場では、受け手側のコストは増えるばかりでメリットがないように思える。どの情報も、必ずそれを受け取る前に選別のためのコストを払わなければならず、そのコストは既存メディアよりも高くなるからだ。

必ずしもそんなことはない。もちろん、そんなことはこのページにたどり着くようなインターネットの使い方にちょっと慣れた人なら、当然肌で感じていることだろうと思う。以下の説明は、「新発見の発表」というよりは、みんな知ってることの理由を考えてみたというものなので、そのつもりでご覧ください。


★蓼食う虫も好き好きという言葉がある。
最初の議論で出てきた「情報の価値」は「発信者にとっての価値」だったことを思い出して欲しい。そして、受信側の議論で出てきた価値は当然、「受信者にとっての価値」だ。この二つは、当然同じではない。

もちろん、発信者がマスコミの場合には情報をたくさん消費してもらって儲けるのが仕事なので、ある程度受信者の価値観も反映していることは確かだろう。しかし人の好みは人それぞれであり、かなり差がある。しかも、その時によってどの情報に価値を見いだすかということは変わってくる。たとえば突然知り合いに「浜崎あゆみってどう思う?」と聞かれて、普段は全く生活の中に登場しない浜崎あゆみの情報をとても知りたくなることだってあるだろう。浜崎あゆみ情報はマスコミも流してますか。そうですか。

情報の量が莫大になることで、求める情報を発見できる可能性も大きくなる。その情報は、例えば特定の椅子の座り心地の情報や、自分の家の近所にあるラーメン屋さんの善し悪しかもしれない。そういう情報の価値はとても限定的で、求める人も少ない。そういう情報を既存メディアで見つけるのはむずかしい。なぜなら、既存メディアは発信コストが高いので、求める人が少ないような価値の低い情報を発信することが難しいからだ。人間が普段必要としている情報の多くは、万人が求めるようなものではない。そういうときでも、発信コストが低いインターネットではその情報が流れていることがある。


★情報への到達コスト
もう一つの問題は、情報への到達コストだ。情報を消費するのにかかるコストは、「情報への到達コスト+選別コスト+実際に消費するためのコスト」だと考えられる。インターネットの場合には、情報への到達コストが著しく低い。

例えば、見たい情報がどうやら長崎県の公報に載っているらしい、けど実際には見てみないとわからない、としよう。この情報を手に入れるためには、公報を手に入れ(到達)、それが自分の欲しかった情報かどうか見定め(選別)、実際によく読んで内容を吸収しなくてはならない(消費)。印刷された長崎県の公報を手に入れるのは結構骨の折れる作業で、どうしても必要これが必要ということにならなければ、あまりやりたくない作業だ。手に入れたが必要ではない情報だったということになれば目も当てられない。しかし、インターネット上に載っていれば、まずその情報へたどり着くためのコストが劇的に低くなる。このため、情報を手に入れたいと思ってから、それを実際に消費するまでの3ステップのコストを全部足すと、多くの場合インターネットの情報消費にかかるコストは既存メディアを大きく下回るのだ。

ただし、これは「探して消費する」たぐいの情報の話であって、持っていれば繰り返し消費する(例えば音楽のような)情報には、必ずしも当てはまらない。当然だが、情報の種類によってもインターネットの方が有利かどうかは異なってくる。


さて、今日はこの辺で。

コメント(0)| Track back(0) | 2004-04-24 23:42:37

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